先日の酒が残り、凍ったように動かないからだに鞭打ち、それでも私は午前10時24分に起きた。
ああ、ああと言いながら。
宿酔の頭を引きずりシャワーまで行く間、私は小窓に覗く外界に見とれた。
シンとして地面を摩擦するタイヤの音、烏が惑って啼く声、
そういった聞こえるもの全てが遠い外国にでもいってしまったように静かで
わずかに裏の林の梢が擦れ合うのが聞こえるばかり。
空は、普段纏っていた皮を一枚剥いだかのように晴れている。
昨日までの春の大風が嘘のようであった。
私は折角の今年の春の訪れに、いつもと変わらずつまらぬ仕事をせこせことこなしていても、かえって体に毒だろうと思い、とりあえずぬるま湯の雨を浴びて全身の分泌物を流し洗った。
バスタオルで体を覆い、もう一度小窓をかすめながらソファに腰掛けると、
足元に裕次郎が笑っているのが見えた。
渋谷の外れにある、カタコンベのような映画館のチラシであった。
この辺りは渋谷といっても外れも外れ、隣駅の方が近く、ラブホテルや飲み屋、クラブなどが立ち並び反吐が敷いてあるような、汚いところである。
そういえばこの辺は、バス一本で行けるなあ。と、私は出掛けることに決めた。
ドアに鍵をかけると少しだけ、後悔する思いがした。
仕事をしなくてよいのか、ではなく、もう少し寝ていたかった、という怠けた後悔であった。
その思いを一歩踏み出す事で振り切ったわたしは、渇ききってまっ白になった庭の土を見て、
今日は夏のような日だな、と思った。
一番近いバス停迄はだいたい500mくらいで着く。家を出て車通りのある道(この辺では弁慶通りと呼ぶ。なにやら由緒ある道らしい。名前からして弁慶やら義経が関係するのだろうか?)まで出て、そこを渡り左へ進むとと小さな店数軒の並びがある。その右側にある小さな鰻屋の脇の道をすっと入ってゆくとマンションやらゴミ収集トラックの駐車場なんかがあり、駐車場まで伸びる道をゆくとだいぶ遠回りなのでその、すき間に遠慮がちにある公園を、斜めにショートカットしてゆくと端に公園の一部のようにしてバス停がある。
車が2台(そのうち一台はおおきなJeepだった)目の前を通るのを見送って、左右が安全なのを確認し、私は通りを渡った。いつもそうであるように、床屋が暇そうにこちらを眺めて、私もいつものように視線を逸らした。
少しゆくと右側に、「KEEP RUN」という名前の、店内で食事もできる惣菜店がある。私は時たまここで弁当やコロッケなどを買うのだが、なかなかおいしい。店主はマラソンが趣味だそうで東京マラソンやホノルルマラソンの開催日になると、毎年休業になる。今日はそのどちらでもないので、開いているかと思ったが、まだ仕込み中であった。
扉の閉まった店内には、マラソン焼けの店主とその奥さんが頻りに手を動かしていた。
しかし二人の様子をみるとまるで目も合わさず、険悪な空気が漂っている。外からでは聞き取れぬが、奥さんのほうがぶつぶつ口を動かしているのが見えるのできっと何か言っているのであろう。そしてそれは表情等から察するに、耳に優しい言葉ではなさそうである。
思えば私も、この奥さんにコロッケを注文した際に、「カニクリーム!?牛肉!?どっち!!?」と詰問するように迫られ、「カ、カニクリーム・・・」とオドオド返答したことがあった。気の強い女性なのだな、店主も気の毒だ。と思い先に進もうとすると、大きな叫び声が聞こえた。
「なんですか!!なんですか!!」
となんですかが2回。2度目の声は少し震えていた。
見ると、惣菜屋向かいの、雀の額程の八百屋で、75はとうに超えているであろう名物ばばあが、大学生くらいの気弱そうな男の、分厚い白キャンパス地のトートバッグの端を、死んでも死にきれぬといった様子で掴み怒鳴っていた。
「こんな年寄りのとこから盗むことないでしょ!!」
おばあさんの目はかすかに濡れているようにも見えたが、それよりも興奮によって紅潮しているようだった。この八百屋は、いつもだれもいないし、居てもこの婆さんがぼーっと死んだ亭主を思い出すような目で天井を見て動かないので、盗み放題だな、とは通るたびに思っていた。
学生さんも抵抗をやめなかった。
「やめてください!!やめてください!!」
やはり2回、叫んだ。
もう一度叫んで、学生さんは狂ったような婆さんの手を振りほどくことに成功し、そのまま、私は本当に何も盗っていないが、このままでは埒が明かぬし、急ぎの用もあることだし、無罪を証明できぬのは私としても不本意であるけれども、用事があるので帰りますという内容のことを叫びながら走り去った。
婆さんはその場で悔しく泣き崩れ、通りがかった善良な市民たちの幾人かが彼女を取り囲み慰めていた。
しかし私も急ぎではないが映画を見にゆく用事があったので、と自らに唱えてその場を後にした。
人間75になっても、ああやって元気に泣き叫ぶことができるものなのだなと鰻屋の脇の道を入り、マンションの坪庭に、梅の花がすっかり落ちているのをみて、やおら自作の俳句をぶつぶつ言いながら公園に入ると、
幼稚園に入るか入らないかの子供が十人弱、うじゃうじゃと、小さな公園の中走り回ったり、砂の城を建てて殿様を気取ったり、その城を壊して下剋上を企てたりなどをして、楽しく遊んでいた。
そこには子らの母親たちも来ていて、むしろこちらが主役といわんばかりの声量で一心不乱に会話をしており、その姿を見るや私は、会話というものの持つ妖しい成分のことを考えずにはいられなかったが、私には映画を見にゆくという大事があり、ここで立ち止まるわけにはと、すぐ先のバス停を目指した。
バスは、もうすぐ来るようであった。
時刻表は見ていないし、この辺りのバスの時刻表は目安にしかならぬが、住宅街の停留所にすでに7人が並んでいるのを見てそう推定した。皆一様に、バス来ないかなといった風に半分体を道路に沿わせて、遠くのほうを見ていた。
わたしより二つ前に並ぶ男に、見覚えがあった。先の八百屋の学生さんであった。
皆と同じようにバスの到着を心待ちにするポーズをし、手にした荷物から赤く熟れたリンゴを取り出した。
私は、あっと思った。盗んだリンゴだろうか?と思った。それは彼の実家である青森から送られてきたサンフジかもしれないのだ。もし盗んだリンゴであったとしても、ここで彼を吊るしあげようにも事情を知る者は私しかいない。彼が無実の学生であるのか、それともリンゴ泥棒であるのか。それを確かめることは難しい。それに私はこれからバスに乗り、映画を見に行かなくてはならないのだ。
学生さんはいくつかの国のいくつかの映画やドラマの登場人物がそうしたように、シャツでリンゴを磨き、皮のまま齧った。果汁がふきだし、それは頬を伝い、夏の日のように乾いた白い土を黒く濡らした。
時計は正午をまわっていた。