我が原風景。それは我が家の庭で男4兄弟で遊んでいた風景。今その庭はコンクリートで舗装されたが当時は土、岩、木からなる昔ながらの庭だった。その庭にはボロボロの木造の物置があり、悪事を働いたクソガキはその中に閉じ込められた。あれは恐怖だった。真っ暗闇の中で未知のものと闘った。怖くて怖くてわずかな隙間からずっと外を眺めていた。
いつも思い出すのはただただ兄弟で遊んでいた情景。二人の兄の背中をボクは追いかけてはぎゃーぎゃー騒いでいた。その横には乳母車で弟がわんわん泣き叫ぶ。それはボクが思い出せる限りの一番古い記憶で、それより前のことは覚えていない。だからなのかもしれない、ふと思い出してしまうのは。原点回帰。
ほとんどのクソガキにとって、あの頃はシアワセだったはずだ。ただ無邪気に遊んでいたあの頃は全てが新鮮で全てが可笑しくて仕方がなかったハズだ。ウンコという単語で、屁という生理現象で、アホほど笑い転げた。大人になるとそんな感覚は薄れてくる。
長男は病気で死んだ。まだ小学校に上がる前の話だ。だからボクの記憶の中に長男はほとんど存在しない。家族でアニの話をすることはなかった。中学の時に一度だけオカンが口にしたのを除いて。ボクも例にもれず反抗期なるものが訪れていてその頃オカンがボクにいった。「○○(兄の名前)のためにもちゃんと生きなさい」と。衝撃だった。突然禁忌は破られ全身に緊張が駆け巡った。何も考えられず無言でその場を去った。その夜兄のことを思い出そうとしても記憶がほとんどない。ショックだった。オレは薄情なのか?いや、オレは幼かった。思い出せないのはしょうがないだろう。いやそんことよりもオレの人生は兄貴の分も背負ってしまっているのか?そんなのは重すぎる。いや兄弟なら当たり前か。よく思い出せ、兄はどんな人だった?わからない・・・。
この呪縛から逃れるのには長い年月をようした。ジイが死に、バアが死に、友達が死に、後輩が死んだ。好きな女と付き合い、わけのわからん理由で振られ、好きでもない女と付き合い、またも振られ、友達ができたり、疎遠になったり、故郷を旅立ち新しい環境に飛び込んだり、そんなことをしているうちに「人生とは何ぞや」といっちょまえに考えた。「出会い、別れ」「死んでいくもの、生きていくもの」生意気なりにそんなものの輪郭がぼんやりと見えてきた気がした頃、兄の呪縛からいつのまにか解放されていたことに気付く。
今はほとんど思い出すことはないが、それでも本当にたまに思い出してしまう。でも呪縛から逃れた今、それは幸せな記憶として回想される。生きていたらどんな仕事をしていたのか?そんなことを想像してしまう。
げんフウケイ
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